ダンスサークル・キララ

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  社交ダンスこぼれ話

このページは、ダンスサークル・キララ会長(宮本謙介)が、三鷹市ダンススポーツ連盟(MDSF)ホームページの「ダンスの扉」に連載しているエッセイを再録したものです。御笑覧ください。

※社交ダンスの誕生はいつごろ?
※ラテンダンス、音楽のルーツはアフリカ?
※タンゴはアルゼンチン発祥、なのにスタンダード?
※加藤兵次郎の数奇な生涯
※スローとクイックはルーツが同じだって?
※社交ダンスの小説、お勧めはこれ
※パソドブレは楽しい?!




※社交ダンスの誕生はいつごろ?
社交ダンスの起源といえば、ヨーロッパ宮廷の舞踏会で華々しく踊るウィンナーワルツをイメージする方が多いかも知れません。ウィンナワルツが起源であることに違いありませんが、そのルーツはもっと古いのです。発祥地については2つの説があり、ひとつはフランス・プロヴァンス地方のヴォルトという民衆の踊り、もう一つは南ドイツからオーストリアにかけて踊られていた民族舞踏レントラーです。
いずれも12世紀頃からルネサンス期にかけて、広くヨーロッパに、民衆から王侯貴族に徐々に広がっていったようです。しかし、当時の踊りはホールドしないラウンドダンスが主流でした。それが、18世紀後半ごろになると、男女のカップルがコンタクトしてクロスホールドで踊るようになり、この頃が社交ダンスの誕生と考えられています。こうしてヨーロッパでは、民衆の踊りが宮廷の舞踏会でもウィンナワルツとして流行したのです( 写真はルノワール作「ムーランド・ド・ラ・ギャレットの舞踏場」)。
20世紀に入ると、イギリスを中心に競技ダンスの体系化も進みました。細部の規定が整ってくると、スポーツとしての性格も強まりました。また、北米でのジャズなどの流行に伴ってフォックストロットやジルバが、ラテンアメリカ音楽からはスクエアルンバ、マンボ、チャチャチャなどの新しいダンスも誕生しました。
国際的なルール化が進むと、日本で普及しているインターナショナルスタイル(イングリッシュスタイル)では、カップルが常にコンタクト・ホールドして踊る「スタンダード」とカップルが組んだり離れたりしてポジションを変化させて踊る「ラテンアメリカン」の2部門に大別されました。 このインターナショナルスタイルでの競技会では、「スタンダード」をワルツ、タンゴ、ヴェニーズワルツ、スローフォックストロット、クイックステップの5種目、「ラテンアメリカン」をサンバ、チャチャチャ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブの5種目としています(2部門合わせてテン・ダンス)。「ラテンアメリカン」の多くは音楽も踊りも中南米が発祥地ですが、ヨーロッパに渡って洗練され、今日のようなスタイルになっています。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)


※ラテンダンス、音楽のルーツはアフリカ?
ダンスは音楽と一体になって踊るものです。音楽(リズム)に乗って踊れればとても気持ちよく、見ている人たちからも楽しそうに見えます。種目によって音楽も独特ですが、なんと言っても情熱的なのはラテン音楽、その中にはアフリカ起源のものも少なくありません。
サンバは、ポルトガルの植民地ブラジルのリオに渡った
アフリカ系奴隷が持ち込んだ音楽がルーツと言われています。それにヨーロッパの舞曲などの要素も加わり、現代のサンバとなりました。ブラジルのカーニバルで踊られるサンバとインターナショナルスタイルのサンバはかなり違いますが、16ビートの基本リズムはよく似ています。ブラジルの黒人音楽のルーツを更に辿れば、西アフリカのバントゥー族の踊りに行き着くようです。「サンバ」とはバントゥー族の言葉で腰の動きを指しており、これがサンバ独特のボディアクションの元になったのでしょう。
ルンバもスペインの植民地キューバに連れてこられたアフリカ系奴隷の民族音楽が起源で、それはソン(Son)などのラテン音楽に発展し、20世紀に入ってからキューバン・ボレロと結びついてルンバ(キューバン・ルンバ)となりました。キューバの黒人音楽のルーツもやはり西アフリカのバントゥー族の踊りで、「ルンバ」とは「集会」の意味、彼らは集まれば踊ったのでしょう。このルンバにアメリカのジャズの要素を取り入れたのがマンボ、さらにそのリズムが変化してチャチャチャとなりました。ジャズも19世紀末ごろ黒人音楽から生まれたものです。このように「奴隷貿易」の時代を背景として、アフリカの民族音楽がダンス音楽を発展させたのですから、華やかで情熱的なラテンダンスにも歴史の重みを感じさせます。
なお、パソドブレは、スペインの闘牛において、牛と闘牛士が入場する際の行進曲。ジャイブは、20世紀半ばにジャズがスイング化して「ジターバグ」と呼ばれ、これが日本では「ジルバ」、イギリスでは「ジャイブ」となりました。余談ですが、海外ではどこでも「ジターバグ」と呼ばれているのに、なぜ日本だけ「ジルバ」なのか。最初に「ジターバグ」という名前を聞いた日本人が「ジルバ」と聞き違えたという説が有力です。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)


※タンゴはアルゼンチン発祥、なのにスタン ダード?
タンゴは、スタンダードの 5種目のなかでもシャープな動きの美しいダンスです。ステップで特徴的なのは、他のスタンダード4種目(ワルツ、スローフォックストロット、ヴェニーズワルツ、クイックステップ)のようなスウェイをかけて踊るスイングダンスではなく、 ボディをアップダウンさせないフラットダンスだと言う点です。タンゴの原型は、言うまでもなくアルゼンチン・タンゴです。
アルゼンチン・タンゴは、1880年代にブエノスアイレスなどの大都市の周辺部下層社会から生まれました。スペインやイタリアからアルゼンチンに渡った貧しい移民たちも踊ったようです。アルゼンチン・タンゴは、それ以前に中南米で流行っていたハバネラ、ミロンガ、 ファンダンゴなどのダンスが融合して誕生したとも言われています。植民地社会の重層的な混合文化(土着文化、黒人奴隷のアフリカ文化、ヨーロッパ移民文化、および混血児メスティーソたちの文化)を背景としており、男女の激しい情愛表現や即興性が特徴的です。
そのアルゼンチン・タンゴが、20世紀に入るとヨーロッパに渡り、フランスのパリなどで大流行し、やがてイギリスにも上陸しました。当時のイギリスの社交ダンス界では、細部の規定を整えて競技ダンスの体系化が進んでいました。アルゼンチン・タンゴがそこに取り込まれると、 改造が加えられ、大きく変貌しました。ステップの標準化が図られて即興性はなくなり、男女の激しい情愛表現なども削ぎ取られました。インターナショナルスタイル(イングリッシュスタイル)のタンゴは、アルゼンチン・タンゴと区別して、コンチネンタル・タンゴと呼ばれるようになりました。 現在、私たちが社交ダンスで踊るタンゴは、厳密にいえばコンチネンタル・タンゴです。
1930年代には、男女が終始コンタクト・ホールドして踊る現在のタンゴの形ができあがり、スタンダードの1種目になっています。スタンダード種目の共通した特徴は、男女が終始コンタクト・ホールドして離れず、一体になって踊るところにあります(英語圏では「ワン・ピース one piece で踊る」とも言います)。
しかし、タンゴ音楽は世界共通です。タンゴの切れ味鋭くドラマチックな踊りは、どこかアルゼンチン・タンゴを彷彿とさせますし、欧米で誕生した他のスタンダード種目とはひと味違うように思われます。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)


※加藤兵次郎の数奇な生涯
社交ダンス愛好家の皆さん、加藤兵次郎をご存じでしょうか。日本の社交ダンス界の草分け的存在であり、開拓者とも言われる人物ですが、意外と知られていないようです。
加藤兵次郎は、1890年(明治23年)、函館の老舗呉服店の長男として生まれます。17歳のころ、音楽仲間に誘われてアメリカ領事館に出入りするようになり、社交ダンスと初めて出会います。ダンスの魅力に取り付かれた兵次郎は、ダンスと共に国際感覚を身につけたいという理想を持つようになります。 1919年(大正8年)、呉服店を継いだ兵次郎は、デパート経営の視察という名目でアメリカに渡り、当時大流行していたフォックストロットを学びます。更にヨーロッパ各国でもダンスを見聞します。帰国後は、函館で「社交舞踏会」を結成しますが、周囲の理解を得られません。当時の日本には、男女が体を接触して踊るような文化はなく、むしろ「不道徳」「社会的通念に反する」との見方も根強かったのです。
兵次郎は東京への移住を希望しますが関東大震災で果たせず、大阪に移ります。大阪ではアメリカ流のダンスホール(チケット制の「タクシー・ダンスホール」)を初めて導入、各地のホールで自ら教師も務めます。この頃には、兵次郎の名声は広く知られるようになっていました。
日本全体が軍国主義化し、欧米流のダンスが厳しい取り締まりを受けるなか、兵次郎はダンスを通して国際親善に尽力します。1931年(昭和6年)には2度目の洋行でヨーロッパ各国のダンスを視察、1934年(昭和9年)にはアルゼンチンを訪れ、本場のアルゼンチン・タンゴを学びます。帰国後、東京や大阪で開かれた「帰国歓迎デモンストレーション」でアルゼンチン・タンゴを披露しますが、高い評価は得られません。 当時の日本のダンス界は、ダンスへの偏見を払拭するため、「健全な競技ダンス」に傾斜したイギリス流のインターナショナルスタイル(イングリッシュスタイル)が主流になっていました。各国に特有のダンスをあるがままに学ぼうとする兵次郎の姿勢とは相容れなかったのです。兵次郎は、イギリス流のダンススタイルに、戦前の「7つの海を支配した大英帝国」の威信=圧力を感じていたのかもしれません。
戦後も兵次郎はイギリス流のダンススタイルには与せず、あくまで「社交」のダンスの道を追求しました(1954年1月死去、享年63歳)。
兵次郎の生涯をみると、日本の社交ダンスのディレンマとも言うべきものが窺えます。ダンスに対する偏見や誤解を払拭しようとして競技ダンスに傾斜すればするほど、「社交」のダンスから離れてしまいます。しかし、社交ダンスと競技ダンスは、本来対立するものではないはずです。両者をいかにバランス良く発展させるのか、これが我々の課題とも言えそうです。(参考文献:永井良和『社交ダンスと日本人』晶文堂、1991年、同『にっぽんダンス物語―「交際術」の輸入者たち』リブロポート、1994年)
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)


※スローとクイックはルーツが同じだって?
「スローフォックストロット」と言えば流れるようなフットワークと美しいハーモニー、「クイックステップ」はダイナミックでエネルギッシュな踊りが特徴的です。どう見ても好対照なスタンダード種目、では両者のルーツを簡単に辿ってみましょう。
20世紀初頭、アメリカやフランスでは、ラグタイム(18世紀末にアメリカ南部で生まれたジャズの前身、ブルースとジャズの中間的な音楽)の演奏で踊る「フォックストロット」が流行っていました。 当時のアメリカでは、動物の動きを真似たダンスが次々と考案され、フットワークが狐の摺り足に似た「フォックストロット」(「狐の軽やかな小走り」)もそのひとつでした。
フォックストロットの流行に拍車にかけたのが、当時の著名なダンサーのカッスル夫妻(ヴァーノン&アイリーン・カッスル)、彼らの歩くように自然に踊る「カッスル・ウォーク」でした。 「カッスル・ウォーク」の「フォックストロット」はフランスで持てはやされ、 さらにイギリスでも広く受け入れられました。
(なお、「フォックストロット」は、アメリカ人ダンサーのハリー・フォックス[1882-1959]が考案した踊りで、彼の名前が由来とする説もあります。)
一方、1920年代初めには、アメリカで熱狂的なチャールストン・ブームが始まります。アメリカ・サウスカロライナ州チャールストンで黒人たちが踊り始め、ブームは瞬く間に全米からヨーロッパにも広がりました。
このチャールストン・ブームに乗って、イギリスでは「フォックストロット」がチャールストン風の速いテンポの演奏でも踊られるようになりました。 そうすると「遅いフォックストロット」と「速いフォックストロット」があって紛らわしいことから、イギリス・ダンス教師協会は「スローフォックストロット」と「クイックステップ」という別々の種目として独立させることにしたのです(1924年)。 爾来、両者は異なる競技種目となって、現在まで踊り継がれています。
このように、「フォックストロット」を源流(ルーツ)として、「スローフォックストロット」は「カッスル・ウォーク」の流れを汲み、「クイックステップ」はチャールストンの要素を取り入れて枝分かれしたと言えます。 その後、それぞれに相応しい様々なステップが考案され、今日のスローとクイックに進化してきたのです。
余談:そう言えば「クイックステップ」の中に「チャールストン」というステップがありますね。やっぱりクイックはチャールストンと密接不可分なのでしょう。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)


※社交ダンスの小説、お勧めはこれ
映画『 Shall we ダンス? 』の大ヒット以降でしょうか、コンテンツ業界で社交ダンスを取り上げる機会が随分増えてきたようです。コロナ禍が始まる前は、社交ダンスにチャレンジするタレントたちのテレビ番組が高視聴率を取っていました。 マンガの世界では、『ボールルームにようこそ』が流行ったようです(残念ながら未見です。私のマンガの知識は、『カムイ伝』『火の鳥』『あしたのジョー』あたりで止まっていて、その後のことは全くわかりません。マンガファンの皆さん、ご容赦ください)。
小説の世界でも、社交ダンスを題材にしたものがたくさん出版されているようですが、主に若者たちの社交ダンスが中心で、いわゆる「学園もの」「青春もの」がほとんどです。そんな中にあって、私がお勧めする異色の社交ダンス小説が『たそがれダンサーズ』(桂望実、中央公論新社、2019年)です。 様々な人生を送り、様々な家庭や職場事情をかかえる中高年のオジサンたちが主人公。一癖も二癖もありそうなオジサンたちに社交ダンスを教えるのが、競技パートナーの妻を亡くし、ダンスに興味を失ったダンス教室の中年男性教師。 チグハグなオジサンたちと、全くやる気のない男性教師が織りなす悲哀と感動のドラマです。それぞれのオジサンの人生の追憶や日々の苦労を挟みながら、ストーリーが展開します。そして、男性だけのフォーメーションで競技会に出ることになったのだが・・・・。果たしてその結末は。
小説の紹介で結末を語る(ネタバレ)のは禁物ですから、内容紹介はここまでとして、作中のオジサンたちに年齢的に近い私は、オジサンたちの含蓄ある台詞につい「うん、そうだ、そうだ」と相づちを打ちながら、いっきに読み終えました。
本書の帯には、「人生後半戦を迎える男たちのまさかの新しいステージは、おじさんたちだけの社交ダンス!」とあります。私自身、還暦を迎えた頃に社交ダンスと出会って、それまでの生活とは全く違う「非日常」の時間を楽しむようになりました。 私のようなロートルでも、生涯楽しめるのが社交ダンスです。
中高年男性の皆さん、社交ダンスの扉を開いて、「まさかの新しいステージ」を楽しみませんか。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)



※パソドブレは楽しい?!
コロナ禍で巣ごもりが続く中、私が会長を務めるダンスサークル・キララも休止中で、ダンスの練習は専らパートナー(妻)とのペア練習のみ、何とも寂しいかぎりです。新川の某所でのペア練習のメリットは、いつも貸切なのでマスクもせずに踊れることぐらい。 サークルで練習してきた種目が中心ですが、そればかりではどうしてもマンネリになります。そこで最近は、サークルでやらない種目にも挑戦してみようということになり、ヴェニーズ・ワルツ、ジャイブ、パソドブレなどを独学で(JDSFのテキストやYouTubeのダンス動画を参考に)始めました。 そして今、私がはまっているのがパソドブレ、いやはや男性にとっては何とも楽しい(?!)種目です(技量の程は別にして)。
パソドブレは、ラテンダンスの異端児と言われます。既述のエッセイ(「ラテンダンス、音楽のルーツはアフリカ?」)のように、ラテンダンスのルーツを辿れば、そのほとんどがアフリカに行き着きますが、パソドブレはスペイン生まれ。 闘牛とフラメンコの要素が凝縮されたドラマティックな踊りです。社交ダンスとしてのパソドブレは、1920年代に欧米の都市のカフェなどで流行り始め、やがて「スパニッシュ・ワンステップ」と呼ばれて民衆の間でも大流行しました。 第2次大戦が終わる頃、イギリスのダンス教師協会が標準的なステップを定めて、現在のようなパソドブレが定着することになりました。
闘牛場で鳴り響く独特の音楽(闘牛士と牛が登場するときの行進曲、本来はこの音楽をパソドブレと言った)が始まると、踊り手の男性は闘牛士(スペイン語でマタドール)、女性はケープ(闘牛で使われる布、スペイン語ではカポーテ)となって、両者が勇壮に対峙します。 他のラテン種目のようなボディをくねらせる動きは一切なし。思いっきり胸を反らせ、歯切れのいいステップが続きます。足を床に強く打ち付けるステップ、手や指の動きはフラメンコの典型的な表現動作でもあります。
そして何より楽しい訳は、パソドブレだけは男性が主役の踊りだから。社交ダンスはあくまで女性を美しく見せるもの、男性は黒子に徹すべしと言われますが、パソドブレだけは例外。闘牛士=男性がケープ=女性を思う存分操って、勝ち誇った勇姿を見せればいいのです。 実に楽しいではありませんか(はたして当方=男性の勝手な思い込み、でしょうか??!!)。
(文責:宮本謙介 理事会副会長、ダンスサークル・キララ会長)



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